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「日帝が朝鮮語を抹殺した」という反日史観を粉砕する朝鮮語辞典(朝鮮総督府発行/1920年3月30日初版発行)

 韓国に現存する朝鮮語辞典のうち、最古のものは1925年の辞書だという。

現存する最古の国語辞典発見(韓国速報 08/6/19)

 現存する最古の国語辞典が発見された。国立中央博物館は釜山のイ・ソンドン氏から「普通学校朝鮮語辞典」の寄贈を受け、検討した結果、国内で現存する最古の国語辞典であることを確認したと18日明らかにした。

 今回寄贈された国語辞典は、京城師範学校の沈宜麟(シム・ウィリン)が編纂したもので、1925年10月、以文堂から発刊された初版本だ。今まで知られた最も古い資料は1930年4月に発刊された沈宜麟「普通学校朝鮮語辞典」第3版で、2004年に確認されたことがある。

 今回発見された資料はそれより5年前に発刊された初版本という点で意義が大きい。初版本と第3版を比較検討した結果、1930年度発行の第3版は初版本を基本としながら、漢字付録だけを貼付したものと発表された。

 「普通学校朝鮮語辞典」初版本はこれまで寄贈者李氏の故郷安東の一族の霊廟に保管されていた。平壌崇仁商業学校と安東師範学校教授を歴任した祖先の蔵書の一つとして保管されてきた。


 因みに「普通学校朝鮮語辞典」の印刷人は谷岡印刷所の谷岡貞治という方である。
 
 我が国の国立国会図書館は、それより古い朝鮮語辞典(朝鮮総督府発行/1920年3月30日初版発行)を保管している。所長は近所の図書館からこの朝鮮語辞典を借りて読んでみたところ、朝鮮語には日本人の知らない漢字熟語が豊富にあり、非常に面白かった。

 朝鮮総督府が1920年に京城で朝鮮語辞典を発行し、諺文語・漢字語・吏読(リトウ-朝鮮上代文字の名。新羅の薛聡がはじめたというもので朝鮮語を写すのに漢字の音訓を借りたもの。日本の万葉仮名に似ている)から成る朝鮮語の語辞と、それらが意味する朝鮮の文化と歴史とを、朝鮮人を含む当時の日本人に教えていたのである。

 それを示すために朝鮮語辞典の冒頭にある凡例からハングルを含まない文章を以下に引用する。原文は正漢字(旧字体)と歴史的かなづかいを使っており、原文の丸数字は○に漢数字である。

朝鮮語辞典(朝鮮総督府発行/1920年3月30日初版発行)

凡例

一 本書は朝鮮語に邦文を以て簡約なる解説を附したるものなり。
一 語辞の種類は諺文語・漢字語・吏読の三種とし、略之を尽せりと雖も、地名は特別のものの外之を除外し、又邦語を襲用せる近時の法令語及び官職名は概ね之を加えず。
一 漢字語及び吏読は諺文を以て読方を示し、その頭字同じきものを一所に集合し以て捜出に便せり。
一 吏読は字音を以て捜出し得るよう便宜漢字語中に挿入せり。
一 一語にして数義を有する語辞は①②③の記号を用いて解説せり
一 解説中適切なる用語なきものは朝鮮在来の熟語を用いたり。故に其の熟語に付ては別に之を捜出して、其の意義を知ることを要す。
一 同意語は最も普通の語辞に解説を施し、其の末尾に同意語を記したり。
一 解説により其の実体を知り難きものは力めて図を挿入したり。
一 索引は諺文・漢字画・漢字音の三種を設けたり。但し諺文語と漢字語及び吏読とを問わず、総べて諺文索引により捜出することを得。

 朝鮮総督府の朝鮮語辞典は諺文(ハングル)を次のように解説している。

諺文(名詞) 朝鮮固有の文字、李朝世宗二十八年訓民正音と題して公布す、当時二十八字母よりなりしも現今は二十五字を存す。(反切・韓文)

訓民正音
牙音如君字初発声 竝書如蝌字初発声(所長註、朝鮮語辞典は二十八字母すべてを解説しているが省略)

 此等の外、漢字音其の他を表記するため特殊なる諺文の使用せられたることあり、今光武正韻の字母に配当せられたる各種の諺文を左に掲ぐ。

光武正韻三十一字母の図(所長註、省略)

諺文風月(名詞) 体裁の具備せざる事物に譬う(風月は詩詞の称、諺文にて作りたる詩の平仄・音節を具備せざる意)。

諺書(名詞) 諺文にて書きたる書籍。(以上は朝鮮語辞典593ページ)


 詩の平仄とは、平韻と仄韻の字。平韻は高低のない平らな音で、上平・下平に分かれて三十韻、仄韻は高低の変化のある音で、上・去・入の三声に分かれて七十六韻。

 日本語では、辻褄が合わないことを「平仄が合わない」といい、朝鮮語では、体裁(必要な形式)を具備してない事物を「諺文風月」といったらしい。

 民主党は「諺文風月」である。なぜなら民主党は党員資格を日本国民すなわち日本国籍を有する者に限定しておらず、在日韓国人をはじめ外国人が民主党員となり、民主党が衆院の過半数を占めている時には、総理大臣を指名する選挙に等しい民主党の代表選挙に参加することができる。民主党は日本の国益を擁護する政党の体を成していないからである。

 朝鮮語辞典(朝鮮総督府発行/1920年3月30日初版発行)に記載されている朝鮮語のうち、興味深い漢字語(カッコ内は辞典の邦文解説、辞典原文の漢字は旧字体)を以下に紹介する。いずれも日本の漢語林(鎌田正、米山寅太郎著/大修館書店/昭和六十二年四月発行)には載っていない。

乾木水生(貧者を督責して銭穀類を出さしむるに譬う、枯木より水を取る意)

 李朝の虐政や民主党の悪政は乾木水生である。

監農(農作を監督すること)

 漢語林には、監軍や監察御史はあるが、監農はない。江戸時代の日本では農村自治が確立していたが、李氏朝鮮では悲惨なことに農民の土地所有権を保護する制度がなかった。

強薄(強暴残忍なること)

 強暴で薄情ということだろうか。

巨接(科場内に集合せる儒生の団体、科挙に応ずるために書堂、寺院等に集りて勉学する儒生の一団)

 朝鮮語辞典には科挙や儒教に関する漢字語がものすごく多い。朱子派儒教を国教とした李氏朝鮮は朝鮮人の気質のみならず朝鮮語にも多大な影響を与えたということだろう。

去姓(姓を称せざること、大逆罪を犯したる者は姓を称せざる慣例あり)

 これは大逆罪を犯したる者が自分の属する本貫を巻き添えにしないための慣例であろうか。朝鮮人が姓を称しない我が国の天皇を侮辱する思想的背景の一端が窺える。

健訟(強いて訴訟をなすこと)

 仙石由人の親友高木健一弁護士らアジア各地に放火している小さな戦争屋の悪行である。

乞神(恥辱を顧ずして貪り食すること)

 乞+神がなぜ恥辱を顧ずして貪り食することを意味するのだろうか?神に雨を乞う、あるいは神の降臨を乞うといった神を祭祀する儀式は無礼講であったということか、あるいは日本の「貧乏神」に相当する漢字語なのだろうか。

耕食(農業を営みて生活すること)

貫耳(軍律を犯したる死罪人の両耳を貫く箭)

 箭は矢のことで、朝鮮語辞典89ページに乗っている貫耳の図は、両耳を貫く一本の巨大な簪(かんざし)のように見える。

怪疾(奇怪なる流行病の総称、二十六種あり症状奇異にして普通病名を附する能わず、此の病に罹る時は多くは直ちに死し、治癒するもの稀なり、虎列刺の如きも病状奇異なるに怪疾と称す)

 1821年、朝鮮で正体不明の疫病が大流行した。驚くほど早く伝染し、発病率が非常に高く、病気にかかれば酷い苦痛のなかで即死した。誰も、この病気は何なのかを知らず、どのような処方で防ぎ、治すのかも知ることができなかった。人々はこの病気を「怪疾」と呼んだ。それから約60年後の1886年、怪疾はその英語名から「虎列刺」(コレラ)と名づけられ、人々は「ホヨルチャ」と呼んだという。

窮春(旧穀将に尽きんとして麦未だ実らず、農民の困窮する季節) 

金鐘蟲(鈴虫)

禁婚(通婚の禁制。世子・世孫の妃を選定するため一時庶民の結婚を禁止すること。)

 世子は王位を継ぐべき王子。世孫は世子の長子。法律新聞(1917.5.13)「朝鮮の結婚制度」という記事(栗原広太郎氏談)は次のように述べている。

 亦茲に一つ考えなければならぬのは今迄独立の国王ではあったが今日では吾国に併合されて国王と云うのでないから制定の上に無論是迄用いられて居った大婚とか或は大葬とか云う語は廃止さるる事と思うのです…

 由来朝鮮では国王が大婚を行わるるに当っては先ず禁婚令なるものが発布されて両班の年頃の娘即ち七八歳から十四五歳のものは禁婚令の布かれてある間は他と婚約する事が出来ない其内候補者たるべき娘の名簿が出来上ると揀択と言って多数名簿の中から十五人計りを撰ぶのであるが夫れを初揀択と云い次で再揀択と云って十五人の中から五人を択り抜き更に三揀択で愈一人に決定するのであって順次に禁令を解いて行くのであったが斯の如きものも今後は廃止さるる事と思って居ます、


 国王の大婚と王世子・王世孫の婚姻とでは禁婚令の対象が異なったということだろうか、それとも朝鮮語辞典の編纂者が記述ミスを犯したのだろうか。いずれにせよ「禁婚」は李氏朝鮮の王権を伝える朝鮮漢字語である。

 民主党の仙谷官房長官は2010年8月4日の記者会見で、日韓併合について「植民地支配の過酷さは言葉を奪い、文化を奪い、韓国の方々に言わせれば土地を奪うという実態もあった。直視して考えていかなければいけない」と述べた。

 いったい日本人の誰が、いつ、どこで、なんのために、いかなる言葉を朝鮮人から奪ったのか!?

 また朝鮮語辞典552~553ページは朝鮮語の「神」「神道」「神霊」「神主」を次のように解説している。

神(名詞)霊妙なる精気。

神道(名詞)神霊に同じ。

神霊(名詞)死後の精魂

神主(名詞)死者の位牌、大抵栗の木にて作る。(別称、祠版)


 朝鮮語辞典に載っている神主の図は、装飾を施されたカバー付の位牌に見える。朝鮮人は「神主」を置いて「神霊」を祭祀するのである。

 漢語林によると、神主(しんしゅ)には、①天の神に代わって人民を治める者。②人民。③儒家で、死者の官位・姓名を書いて、おたまや(御霊屋)に安置するもの。位牌、木主。という意味がある。

 靖国神社に朝鮮人戦死者の位牌が安置されていると信じる韓国人は、韓国の儒教と日本の神社神道を混同し、靖国神社を非難しながら実は韓国儒教の慰霊儀式を語っているのである。韓国人の反日言動は、しばしば日本に仮託して朝鮮人の犯罪・文化・慣習・歴史を自白している。

 日韓併合後、我が国は朝鮮人に対して朝鮮語を教えていたが、1938年の第三次朝鮮教育令(昭和13年勅令第103号)以降は朝鮮語が必須科目から附設科目に変わったことから、朝鮮語の授業を行わない朝鮮人校長が現れたのである。

 日本と韓国 (1978年)(八木信雄著/日韓文化出版社/1978年発行。著者の八木信雄氏は朝鮮総督府の官吏で、終戦時には全羅南道知事であった)

韓国語の取扱い

K ところて、韓国語の取扱いはどうなっていたんだろう。僕が耳にしているところでは、学校では一切韓国語を教えなかったとかいうことだったが…。

Y 一切教えなかったというのは間違いだが、南総督時代になってから、教育令の上ではそう言われかねない状態になったね。
 
 そもそも、併合(明冶四十三年八月二十九日)当時の韓国の学制では、普通教育機関として普通学校、高等学校、高等女学校があり、その教科目に〃朝鮮語及漢文〃とあって、韓国語を教えていたことはもちろんなんだが、併合の翌年八月、寺内正毅総督によって〃朝鮮教育令〃が制定された後も、韓国人のための普通教育機関である普通学校、高等普通学校、女子高等普通学校ては〃朝鮮語及漢文〃を必須科目として残してあったんだよ。

 なお、そればかりじゃなく、日本人の子弟を教育する小学校、中学校、高等女学校でも、土地の情況により附設科目として〃朝鮮語〃の科目を設けることができるようになっていたんだよ。

K 日本人の子弟にも韓国語を教えるなんて、武断政治家の寺内にしてはとてもいい着眼じゃないか。

Y 全くだよ。

 次に、大正八年(一九一九年)の独立騒擾事件(三・一運動)の後に就任した斎藤実総督(後、総理大臣)は、韓国人の教育水準を日本人と同じ程度に引き上げることにして、大正十一年二月教育令の全面的改正を断行し、国語を常用せざる者(韓国人を指す)のための普通教育機関の修業年限の延長を図ったわけだが、普通学校と女子高等普通学校では〃朝鮮語〃、高等普通学校では〃朝鮮語及漢文〃が必須科目として存置され、日本人の初等・中等学校についても従来通り、〃朝鮮語〃の科目を附設できるようになっていたんだよ。

K 普通学校と女子高等普通学校の教科目が〃朝鮮語及漢文〃がら〃朝鮮語〃に変ったのはどういうわけかな。

Y 韓国は漢文化の国だからというので、最初は初等教育の普通学校でまで初歩の漢文を教えていたのだが、日本人子弟と同じ教育水準に引き上げるとなると、漢文まで教えていたのでは負担が重くなり過ぎるからだと思うよ。

K なるほど、そういうわけか。

Y なお、これは学校の教科目のことではないが、総督府では大正九年に『朝鮮語辞典』の編纂を終って公刊しており、これから見ても韓国語を抹殺する意図はなかったことが分るんじゃないかね。

 それから、次の宇垣一成総督になると、昭和九年に新しく〃簡易学校〃というものを設けて、まだ普通学校の設置されていない僻陬(へきすう)地の児童を収容して、修身、国語、算術、農業と〃朝鮮語〃を必須科目とした農村向けの簡易な教育を実施することにしたんだよ。

 なお、これには、総督自身が発案し提唱した農村振興運動の実施に当り、その中に取り入れた家計簿の記帳に韓国語を役立たせようという狙いもあったようだね。

 ところが、問題は南総督になってからで、支那事変の勃発に伴って時局が重大化してきたから、大いに〃内鮮一体化〃を図らなければならないということで、昭和十三年三月、朝鮮教育令の全面的改正を断行し、韓国人の普通教育についても日本人同様に小学校令、中学校令、高等女学校令に依ることにしたんだよ。

 そして、朝鮮語は正科から外して附設科目にし、朝鮮語の授業を行うか行わないかは校長の判断に委せることに改め、且つ随意科目にして、生徒がその授業を受けても受けなくても勝手だというふうにすることができるという程度にまて大幅に格下げしてしまったわけだ。

 なお、日本内地の教育制度改正に追随して、昭和十六年三月、小学校は国民学校に変ったが、朝鮮語の取扱いについては従前通りだ。

K それじや、朝鮮語をそんなに格下げしてしまった後の、韓国人学校での授業の実際はどんな状態だったんだろう。

Y それが非常に面白い問題でね。朝鮮語が正科から外されてしまったとたんに、各学校から一斉に消えてなくなってしまったかというと、実際は必ずしもそういうことにはならなかったんだ。

 それというのは、朝鮮語の科目を附設するかしないか、附設しても随意科目にするかしないかは校長の権限に委されており、その決定如何によるわけだが、校長としてほその決定に当って、生徒児童の父兄はもちろんのこと、学校所在地の住民一般の意向を全然無視するわけにはいかないというのが実情だったからなんだよ。

 父兄や住民の中には道会議員とか、邑会議員、面協議員とかいった公職者を初め色々な土地の有力者がいるわけで、この人たちは正面切って内鮮一体に反対しないにしても、朝鮮語の授業の廃止には内心強い反対意向を持っているわけだから、校長としては、これを無視し去るということは相当の決意を必要とすることだからね。

K 総督府の役人が机の上で決めることは簡単だろうが、実際の仕事をする者にとっては大変なことだからね。

Y これは、終戦時まて韓国人の通学する国民学校の校長をしていた韓国出身の吉野鎮雄氏から聞いた話なんだが、道(どう・県)によって多少の相違はあっただろうが、韓国人校長の場合はほとんど朝鮮語の授業を行わず、逆に日本人校長の場合はそのほとんどが週二時間宛教えていたというんだな。

 当時の韓国には六年制の国民学校のほかに四年制の国民学校もあり、六年制学校の校長十名か十一名の中一名、四年制学校の校長七、八名の中一名位の割合が韓国人校長だったから、朝鮮語を教えなかった国民学校は教えた学校の一割前後にしかならなかっただろうとも言っていたよ。

K 韓国人の校長こそ朝鮮語の授業をやりそうなものなのに、どうしてやらなかったんだろう。

Y 僕もそれが不思議なので、吉野氏に聞いたところが、「韓国人の教員で校長に選ばれるのには、よほど日本人の上司の点数がよくないと駄目なわけで、朝鮮語は教えずに日本語の教育に熱を入れることが、また、非常な点数稼ぎになったのだ」という返辞だったよ。

K それは、正に〃内鮮一体悲喜劇〃とも称すべきものだったね。それはそれとして、大部分の学校で朝鮮語の授業が行われていたというのに、どうして、学校では一切教えなかったなどという話になって伝わったんだろう。

Y それは、まず第一に、教育令の改正で朝鮮語を必須科目から外して附設科目、随意科目に大格下げしてしまったこと、そして幾分ながらその授業を廃止した学校があったことがそういう印象を与えたこと。

 第二に、総督府が「日本精神の理解と内鮮一体の信念の体得には、国語即ち日本語教育に特に力を入れる必要がある」として、その徹底方を指示した関係で、一年生を教育する場合は致し方ないとしても、その他の場合は韓国語でなく専ら日本語で教育するようになったこと。それに、生徒児童が校内で韓国語を使用することを禁じたりしたことなどが、そういう誤解を生むに至った原因じゃないかと思うよ。

K 韓国人にしてみれば、韓国語は、自分たちが祖先以来継承し、守り続けてきた民族の生命なのだから、これを軽々しく取り扱われたのではとても我慢できなかったろうし、それで話に尾鰭(おひれ)がついたり、針小棒大にもなったんだろうね。その辺の事情はよく分るような気がするよ。

Y 南総督の掲げた〃内鮮一体〃という政策には、「韓国人も日本人と全く同じ日本国民てあるという心からの誇りを持たせる」という目的も含んでいたのだが、それは高次元の一視同仁政策によって初めてその可能性が考えられることてあり、日本式創氏をさせたり、韓国語を軽視して日本語使用のみを励行したりといった次元の低いやり方は、逆効果を招くことにはなっても、決していい効果は生まないわけだよ。

 その意味においては、父兄や土地の住民の声なき声に耳を傾けて、朝鮮語の科目を附設し、その授業を続行した日本人校長たちのあり方の方が、むしろ一視同仁の真の精神に添ったことになったと思うよ。(中略)

 それで思い出したのだが、僕がまだ警視で慶尚北道警察部の警務課長当時(昭和五年五月から六年二月まで)のこと、大野謙一(後、咸鏡北道知事・総督府学務局長、故人)という警察部長がいて、僕に慶尚北道警察部独自の〃朝鮮語奨励規程〃と、その実施要綱を、何時何時(いついつ)までに作れというんだ。僕はたまたま風邪で熱を出して寝込んでしまったので、頭の中で草案を作りながら口述して家内に筆記させ、どうやら間に合せたことがあるんだよ。

 じつは4、5年前のことなんだが、ある会合の席上で、日本の教育者の一行が、韓国の教育者との交流のために彼地を訪問した際、「日本の統治時代は、韓国語を使うと警察に引っ張って行かれたものだ」という説明を受けたと聞かされて、全く憮然たる気持ちにならざるを得なかったよ。

K それは、当時の警察に対して無実の罪を着せることになるわけだね。

Y それは、南総督が内鮮一体の旗印の下で国語(日本語)の常用を奨励し、国語を常用する家庭の入口には〃国語常用の家〃という標識をつけて賞揚したことがあるのだが、恐らくこの時代に若干あったことが、韓国統治なかんずく警察の作用に対する韓国人の反感で誇張された結果だと思うよ。


 朝鮮人の中には、洪思翊将軍のように、設定創氏と改名を行わず朝鮮名を維持したまま大日本帝国陸軍中将に昇進した気骨ある立派な軍人がいたが、自分の立身出世のために、関東軍参謀副長の石原莞爾にバカ大将と罵られた朝鮮総督の南次郎に媚び諂い、学校の授業から朝鮮語を排除した卑屈な校長もいた。ただそれだけのことである。

 占領下の日本でも、大日本帝国憲法に殉じた清水澄のような立派な憲法家がいたが、公職追放を免れるためにGHQに媚び諂い八月革命というデマをまいた宮沢俊義のような最悪の憲法学者もいた。

 気丈な人がいれば、必ず卑屈な人もいる。これは普遍的な現象であるのに、歪んだ小中華思想に凝り固まった韓国人は、日本統治下の朝鮮人が自ら率先して、日本名を名乗ったり、或いは朝鮮語を学校の授業から排除したり、或いは日本軍に志願したり、或いは朝鮮の婦女子を拉致誘拐したり、或いは敗戦後直後に日本の婦女子をレイプしたことを認められない。

 だから韓国人は日本政府の弱腰に付け込み、「死人に口なし」「水に落ちた犬は打て」とばかりに、朝鮮人の行為を日本軍と大日本帝国になすりつけてこれを非難することにより、正義の味方を演じて道徳的な高みに上ろうとしているのである。彼らは日本の共産主義者、朝日新聞社、浄土真宗左派と同じ最低の人間である

 朝鮮語には「両書分明」(漢文と諺文とを倶に知れること)という四文字熟語がある。大日本帝国朝鮮総督府は、日本語と朝鮮語の教育を通じて朝鮮人を両書分明人に育てたが(大正12年11月に朝鮮総督府が新編高等普通学校朝鮮語及漢文教科書を発行した)、韓国政府は1970年に漢字教育を廃止してしまい、今や韓国人の多くが漢字を理解できず、また漢字の廃止以前の朝鮮語文献を読解できなくなったという。いったい彼らはどのように朝鮮史を研究するのだろうか。

 民族文化の中核は言語であり、日本語には存在しない朝鮮語の漢字熟語・漢字の組み合わせと其の由来・語源は、朝鮮の文化であり朝鮮の歴史であるから、諺文とともに朝鮮語を構成する漢字の廃止とは、言語の破壊であり、文化の抹殺であり、歴史の消去に他ならない。すなわち1970年以降の韓国こそが朝鮮の言葉を破壊し、朝鮮の文化を抹殺し、朝鮮の歴史を消去しているのである(詳細は「漢字廃止」で韓国に何が起きたか)。

 「両書分明」を捨てた韓国人が自らの悪行を大日本帝国に擦り付ける限り、真実を知った日本人は韓国を憎悪する。従って日韓友好は有り得ない。
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プロフィール

龍井榮侍

Author:龍井榮侍
 東亜連盟戦史研究所は、主として大東亜戦争に関する国民の戦史知識水準の向上を目指して開設されました。

 弊研究所が確信する「正統戦史研究」とは、信用の置ける第一次史料を集め、史料に事実を語らせ、独自の史観を構成することです。だが第一次史料とて作成者の欺瞞、錯誤を含んでいるかも知れず、たとえ紛れもない真実を示していても、所詮それは膨大な歴史的事実のごく一部にすぎません。

 歴史の真実の探求は極めて困難であり、戦史研究において歴史学徒が最も留意すべき事項は、間違いが判明すれば直ちに修正することであり、最も禁忌すべき事項は、「自説保全による自己保身」に走ることです。よって弊研究所は、読者の皆様の建設的な礼節ある御意見、御批判、御叱正を歓迎します。
 
 所長の本拠地は森羅万象の歴史家ブログです。

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